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「明日へつなぐ」  東京シューレ東日本大震災支援プロジェクト 活動報告

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ごあいさつ

東京シューレ理事長 奥地圭子

 

 1年前の2011年3月11日、思ってもみない東日本大震災に見舞われ、私たちは、かつてない試練にたたされました。2万人にのぼる死者・行方不明者の方々にも、いのちは助かったけれど、家も仕事も思い出も、何もかも失った方々にも、放射能から避難され家族もバラバラ、どうやって生活をたてていったらいいのか、という方々にも、私たちはかける言葉がみつからない状況でした。

東京シューレでは、東京関係の混乱がそれなりに落ち着いてから、事の重大さの前に、何ができるんだろうか、と考え、できることを被災されたニーズに応えてやっていこうとまず募金をよびかけさせていただきました。そして、1年間この報告集にあるような活動をやらせていただきました。やれることはささやかであったと思いますが、その刹那(せつな)刹那で喜んでいただけました。しかし、支援にうかがった私たちの方が、日常では学べないことをたくさん気づき、学び、励まされました。


 どこにいっても、知らない者どうしが、知らない人のために力をあわせている姿は、生き合う原点を示してくれていると感じました。日本全国からかけつけている人々の一つに私たちがいて、こんな経験ができたことがうれしかったです。また、気仙沼の不登校の親の方が「こういう子になってほしい、でなく生きているだけでいいと思った」との感想も実に深い言葉でした。そして、私たちは、不登校がそうであったように、支援側のニーズでなく、当事者のニーズに応える支援が大事だということをしっかり学び直しました。

 震災支援は、長期支援が必要です。学びながら、できることを続けていきたいと思います。これができたのも、皆さんの募金のおかげです。本当に有難うございます。この冊子は私たちの活動の一端ですが、御報告とさせていただきます。今後ともよろしくお願い致します。


プロジェクトの概要

(1) 現地派遣プロジェクト

  東京シューレの子ども・若者・スタッフが、被災地を訪問し、ボランティア活動の他、音楽演奏や交流等を通して、被災地の方々を応援してきました。

(2)東京近郊に避難・移住している不登校の子どもの受け入れ

被災地にも、不登校等で主に家庭で過ごしていた子どもたちが数多くいます。避難・移住により、フリースクール等で居場所を見つけ、学びたいという子どもたちを応援してきました。そういったご家庭に対して無償でフリースクール、東京シューレ葛飾中学校、ホームシューレに参加できるように協力してきました。
[対象]
1) 震災で被災、原発事故によって避難(自主避難を含む)されている不登校等の子ども・若者(20歳未満)
2)現在、東京シューレに在籍する被災された会員(フリースクール、ホームシューレ、シューレ大学)


(1)現地派遣プロジェクト 活動概要

第1回 4月28日~5月2日
@宮城県仙台市、石巻市
派遣人員:14名
関係団体への聞き取り調査、がれき撤去、公園整備
第2回 6月24日~27日
@宮城県仙台市、石巻市
派遣人員:12名
関係団体・被災された方への聞き取り、避難所での炊き出し
第3回 7月28日
@福島県郡山市
派遣人員:2名
不登校・ひきこもりの子を持つ親の会への聞き取り調査
第4回 8月5日~7日
@宮城県女川町
派遣人員:5名
学習サポート、話し相手、遊び相手
第5回 8月22日~24日
@福島県大沼郡
派遣人員:20名
フリースクール全国ネットワーク主催の全国交流合宿に参加、現地の方々と様々な企画を通して交流。
第6回 :9月3日~4日
@宮城県気仙沼市
派遣人員:3名
親の会への聞き取り調査
第7回 9月3日~4日
@宮城県女川町
派遣人員:5名
子どもへの学習サポート、話し相手、遊び相手
第8回 9月3日~4日
@宮城県岩沼市
派遣人員:7名
東京シューレ会員とハイテンションズとのコラボイベント参加
第9回 10月1日~2日
@宮城県女川町
派遣人員:5名
学習サポート、話し相手、遊び相手
第10回 10月28日~29日
@宮城県石巻市
派遣人員:12名
東京シューレ会員が中心となって、2か所の仮設住宅における炊き出し及び交流活動
第11回 11月5日~6日
@宮城県女川町+雄勝半島
派遣人員:5名
学習サポート、話し相手、遊び相手、漁港での養殖復興作業手伝い
第12回 12月22日~24日
@宮城県女川町+雄勝半島
派遣人員:13名
漁港での養殖復興作業手伝いと炊き出し、女川町開催のクリスマスイベントにてお汁粉の提供
第13回 3月11日
@神奈川県厚木市
派遣人員:8名
東京シューレ打楽器叩き隊が、普段から交流のある音楽グループ・サルサガムテープと共に、厚木市で開催された復興支援イベントに参加。

 

活動内容1
現地のニーズに応えるために

 

私たちの支援活動は、まずできる限り現地が必要とされていることに応えることでした。

 第1回派遣の前には、現地でつながりのある団体から何が必要とされているかを聞き取り、緊急支援物資と共に、安全靴・ヘルメット・グローブ・足底てっぱんなど、慣れない準備を整えながら、現地に向かいました。

(1)現地では、支援団体・行政・被災された方々など、改めて現地の状況やニーズを知るためにお話を伺いました。

 

(2) 聞き取りと並行しながら、その時・その日のニーズに可能な限り応える支援活動を行ってきました。

・がれき撤去作業、河川の整備、遊び場の整備

 

(3) 石巻市内の避難所での炊き出しと、女川町開催のクリスマイベントにてお汁粉提供

活動内容2
 子ども・若者による現地支援

 

 東京シューレの子ども・若者たちも、共に現地に赴き支援活動を行ってきました。

(1) 「みやぎ手をつなぐ夏祭り」音楽イベントへの参加(第7回派遣)

 東京シューレ打楽器叩き隊が、打楽器講座の講師である梶原徹也さん(元ブルーハーツ)の声掛けで、宮城県岩沼市の仮設に住む方や、県内の障がいをもった方の夏祭りで音楽交流と演奏を実施しました。

(2) 宮城県石巻市の仮設住宅における炊き出し・交流活動(第9回派遣)

  東京シューレ高等部の会員5名が参加し、支援団体NGO未来の方々の協力を得ながら、2か所の仮設住宅で炊き出し、音楽演奏、ゲーム交流を行いました。

(3) 漁港復興プロジェクトの作業お手伝い(第10回・第11回派遣)

 第1回現地派遣の際に雄勝半島・立浜の漁師さんと出会ったことをきっかけに、そこで立ち上がった「石巻・雄勝・立浜養殖復興プロジェクト」の作業を継続的にお手伝いしました。

 

(4) 東日本大震災1周年イベント「わすれないDAY 3・11」参加

東京シューレ打楽器叩き隊が、普段から交流のある音楽グループ・サルサガムテープと共に、厚木市で開催された復興支援イベントに参加しました。

活動内容3 親の声を聴く

 私たちは、つながりのある親の会にも出向き、不登校やひきこもりの子をもつ親たちが被災によりどのような状況に置かれているのか、お話を伺ってきました。

 東京シューレ独自では、7月の福島県郡山市と、9月の宮城県の気仙沼市の2回ですが、その後は所属団体である「登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク」の支援活動を通して、親の声を聴きとってきました。

 ここでは、東京シューレ支援活動報告ブログより、福島県郡山市の親の会が運営している「んだねカフェ」で伺ったお話を一部掲載いたします。

 詳細はブログをお読みください。

 3月11日は、雪が降り、とても寒い日だったそうだ。

 Aさんは、夜勤明けで自宅に戻り睡眠をとって起床したとき、左右に大きな揺れがきた。おさまったと思ったらまたきた。カギが壊れて、家中の窓や戸が自然にあいてしまった。近所の家にも手伝ってやっと夜8時ごろ職場のホテルにつくと水道管がだめになってジャージャーもれて、営業もできないので、無料で宿泊してもらうことになった。3日後テレビで原発の水素爆発を知った。始めはそんなに深刻と思わなかった。50㎞離れているから、と。それから2時間は、水がこないので給水車で並んだり、ガソリンがなく動けなかった。

 今は、こう思っている。「福島の野菜も果物も避けられている。でも、東京の人間が安全なものしか食べないのはおかしい。本当は安全なものを福島人にこそ食べさせてほしい。東京が福島を引き受けてくれていいじゃないか、と思う。だって、東京の電力を賄うためにあんな危険なものを置いたんだから」と。

 Bさん夫妻は、20代のとじこもりの息子さんが家にいる時大地震がきたそうで、自分たちは車を運転していて、ハンドルもきかない状態になった。やっと帰宅すると、息子は庭にでていた。その日まで、口を聞かなかったのに、地震のおかげで、一緒に寝るようになったし、会話が戻った。強迫神経症や家庭内暴力がひどくて悩んできた時期もあった。でも、今日も「郡山、行ってきたほうがいいよ。」と言ってくれた。息子は、原発に敏感で、ネットで調べるなどして詳しい。「どうせ俺たちはモルモット」「逃げたほうがいい」といつも言っている。

 農家なので、悩む。キャベツ農家で有機でやっている人が自殺した。気持ちわかる。うちは5000ベクレル以下なので米を作っていいのだがやはり作るかどうか迷った末、今作っている。果樹を作っている家は、樹皮を1枚1枚はがしていた。桃だって売っているが、分からない。悲しいけれど、スーパーでは、地元のもの程注意している。いつもいつも頭の中が面白くない。野菜作っても捨てるしかない。

  ( http://shuresp.sblo.jp/article/47190002.html より)

子ども・若者・スタッフの声

 ここでは、現地派遣活動に参加した子ども・若者・スタッフの声の一部を紹介します。

 詳細は、報告ブログをご覧ください。

○松本萌(17歳・高等部会員:第9回現地派遣に参加)

 私は、最初は現地の人とあまり交流ができないのではないかと思ってた。

 けど、炊き出しの準備をしている間に、おじさんがおにぎりを握ってくれて渡してくれた。

 人がとても暖かかった。

 2日目の時には、仮設住宅に住んでいるおばあちゃんが一人でおじいちゃんの分も運ぶんだと言ったので、大変だと思って一緒に手伝った。

 その時に、改めておばあちゃんが、震災の話をしてくれて、仮設に住んでいる人たちは家が流されてしまっていることは知っていたけど、ちゃんと考えていなくて。

 それで、おばあちゃんが経験したことを話してくれた時、ものすごく悲しい気持になった。泣きそうになった。

 それから、地元の子ども達と遊んだビンゴがとても楽しかった。

 ちょっとは元気をだしてくれたかなと思った。

○荒木さくら(18歳・高等部会員:第9回現地派遣に参加)
  最初の頃は、元気づけてあげようと思った。

 それから現地の人達との交流を楽しみにしていった。

 炊き出しの時に、ある夫婦が仮設住宅から食べに来てくれて、家まで運んだ。

 それが意外と遠い仮設住宅で、こんな所から来てくれたんだと思った。

 「きれいな空だね~」とか、たわいもない話をした。

 他の住民の人がすれ違った時、おばちゃんが「あそこで炊き出ししてるんだよ」と微笑みながら話をしていたとき、初めて交流ができたなと思った。

 初日の夜に、翌日の炊き出しのチラシ配りをしたとき、仮設住宅全体がシーンとしていたことがすごく印象に残っている。

 さみしい感じがした。

 昼間は賑やかだったこともあるから、そのギャップに震災の被害の深刻さを実感した。

 日和山公園からの風景は、とても記憶に残っている。

 私は、元気づけたいと思って、ビンゴゲームも楽しくやろうと思ったり、あいさつもちゃんとやろうと思っていたけど、逆に現地の人達に元気づけられた。

 「ありがとう。」って言ってくれたり。

 一日目が終わった時「明日も来るね」と言ってくれたり。

○ケリー・ブランドン(17歳・高等部会員:第9回現地派遣に参加)

  僕にとって、すべてが悲しかった。

 だけど僕は悲しくなりたくなかった。

 なぜならば、それは東北の人々にとっていいことではないから。

 だから、僕は強くなったり、リーダーシップをとっていくべきなのではないかとも思った。 

 でも、僕は東北の人々はすでに、自分たちの力で立ちあがろうとしていることを知った。

 それは、僕にとって驚くべきことだった。

○マガリン・アンドリュー(17歳・高等部会員:第9回現地派遣に参加)
  僕は悲しかった。

 なぜなら、日和山公園から見える家は無かったから。

 僕はすべての子どもや若者たちが心配だ。

 地元の人達は、とても自然に接してくれた。

 僕は、人々を手伝うことができて幸せだった。

 子ども達と遊んだことも覚えている。それも僕はうれしかった。

○弓納持有隆(20歳・高等部会員:第9回現地派遣に参加)
  ボランティアって、長期的な関わりをしていくことが一番だと思うから、僕らみたいに2日間のボランティアってそんなに役に立てないと思っていた。

 だから、地元の人達からもその場限りの人達と見られてしまうかなと思っていたけど、実際にはそうではなかった。

 1日や2日でも、地元の人達に喜んでもらえることができるなら、これからも続けていきたいと思った。

○長井岳(シューレ大学学生:第2回現地派遣について)
  初日の夕方、石巻専修大学のボランティアセンターに向かった。

 石巻地域のボランティアのメッカである。

 駐車場の一角にとても大きな倉庫があり、作業用一輪車、土のう袋などが整然と置かれている。

 私たちは、寄付された自転車を4台届けた。

 ミーティングは夜7時半に始まった。

 専修大学の一室に100人を越える人が集まる。

 20代から40代くらいが主だろうか。

 男性が約8割を占める。

 正面に置かれたホワイトボードには、炊き出し、マッドバスターズ(泥出し)、リラクゼーションといった活動ごとに関わる団体が書かれ、その日の活動と参加人数を報告するという形で会が進行する。

 会の終わり近く、一人の女性が声を上げた。

 虫が出てきているので「支援者の支援」として殺虫剤を配るとのことだった。

 「この場所にあるのは好意だけだ」と思った。

 そして、ここにいる人々の向こうで、日々、もっとたくさんの人が動いている。

 彼らは本当に多くのことを成し遂げてきた。

 石巻市街地の瓦礫はたった1ヵ月半できれいになくなった。

 「誰かを助けたい」というとてもシンプルな思いからはじまって、具体的に人を助ける。

 NPOや社会的企業とつながる発想だ。

 「自分だけ」のためではなく、人や社会を自然に思ってしまう気持ちから発想して、活動していく。

 もしかしたら、自分の中から湧き出てしまう、隣人を思う気持ちのままに助け合って生きていくことが、生活していくことが可能かもしれない。

 遠い宮城で、自分の進みたい道を照らす、小さな光を見つけた。

○今田万美子(シューレ大学スタッフ:第11回現地派遣に参加)
  震災から9ヶ月以上経ってからの、初めての被災地行き、そんな立場なりの私の感想しか書けませんが、一つ印象に残ったのは、女川総合体育館の背後にひっそりと建ち並ぶ仮設住宅でした。

 高台にあったためにかろうじて残された体育館の、さらに山側にその仮設住宅は建てられていたのですが、そこに辿り着くまでの道は、両側に瓦礫が高い壁となって積まれていたり、更地になってしまったりしていて、町の様相は奪われてしまっていました。

 その先にある仮設住宅は、あくまで地理的な印象ですが、周囲の町との連続性がないように感じました。

 (その周囲の町も、同じような状況かもしれません。)

 住民の方たちが、孤立した気持ちにならないだろうか、切り離されている気分にならないだろうか、そういう気持ちにさせてはならないのだがどうすればいいんだろう、ということを思わされました。

 

東京シューレ会員への援助について

  東京シューレでは、家庭で育つ子ども・若者たちを応援し、家庭同士のつながりをつくる、ホームシューレ事業を展開しています。

 会員の中には、震災の被害を受けたご家庭もあります。そこで、少しでも安心して子ども達が学び、育つことができるよう、3家庭の会費免除・減額を行いました。

 同様に、18歳以上の若者たちの自己探求の場であるシューレ大学においても被災地域出身の学生が2名おり、学費の免除・減額を行いました。

 

現地支援団体との連携

  私たちは、様々な団体にご協力いただきながら、支援活動を進めてきました。ここに各団体の概要を掲載させていただくと共にお礼申し上げます。

  [主な活動]
チャイルドラインみやぎ
http://www2.ocn.ne.jp/~clmiyagi/
18歳以下の子ども達を対象としたチャイルドライン事業の他に、災害子ども支援ネットワーク宮城のメンバーとして、子ども対象の支援活動を展開。
まきばフリースクール 
http://www3.ocn.ne.jp/~mkb-free/index.html
1)被災した要養護児童、不登校・引きこもり・精神障害等でニーズを抱える方々とその家族への支援
2)宮城県石巻市網地島や気仙沼市、岩手県陸前高田市など、以前よりつながりのあった地域と被災した方々への復興支援
フェアトレード東北
http://ameblo.jp/fairtrade-t/
ローカル及びグローバル・コミュニティにおける社会的排除の解決をミッションとし、市場社会で活動する事業型NPO。震災支援では、行政による支援の狭間に置かれている方々に焦点を当て活動を展開。
スマイルシード
http://www.smile-seed.org/
心のケアを中心に子どもたちの学習サポートを始めてとして、人づくり、街づくりの活動。宮城県を中心に、企画、コーディネート、イベント開催を随時、住民の方々及び他団体等と連携しサポート活動を展開
NGO MIRAI~魅来
http://cupola-net.com/NGO MIRAI~魅来/
埼玉県川口市を拠点に子ども達のために環境に関する環境ボランティア活動を展開。東日本大震災以降は、バスをチャーターし、月に2回、被災地へ。宮城県の女川、石巻を中心に、がれき撤去から網戸の取り付け、心のケアまで幅広く活動し、現地に笑顔を届けている。

* その他、郡山の親の会や気仙沼の親の会にもご協力いただきました。

 

募金について

  私たちは、みなさまからの温かいご支援を受けながら、活動を続けてきました。現時点(2012年3月現在)で、235名の方に総額5,181,091円のご寄付をいただきました。募金は、以下の二つの使途で活用させていただいています。

A募金 B募金
シューレ独自の支援活動に活用 7割 (2011年8月まで)
 日本NPOセンター 東日本大震災現地NPO応援基金
(2011年9月より)
 石巻・雄勝・立浜復興プロジェクトさんりく海の幸支援制度
3割 シューレ独自の支援活動に活用

今後も、不登校やひきこもりの子ども・若者たちや親の方々に焦点を当てつつ、現地のニーズに応えながら息の長い活動を続けていきたいと考えています。

引き続き、ご支援とご協力をよろしくお願いいたします。